神奈川県の南西部、首都圏から70km圏に位置する大井町は、年間を通じて温暖な気候であるため大変住み心地が良い人情味も豊かな町です。
昭和40年代半ばから、全国各地や近隣県などから転入してきた人たちによって人口が急速に伸び活性化されました。
足柄平野の玄関口とも言えるこの場所は、鎌倉時代頃には「大井の庄」と呼ばれていたことから、鎌倉幕府に由来した北条時頼の坐像など歴史的遺産もあります。
様々な歴史を踏んだ大井町の歴史に興味はありませんか?少しここでご紹介してみます。
大井町が誕生した歴史
江戸時代には徳川家譜代大久保氏の所領として小田原藩に属していましたが、明治の廃藩置県で小田原県、足柄県、神奈川県と所轄が変わりました。
明治11年に郡区町村編成法が施行され、現在の大字区域が足柄郡87か村として属すことになりました。さらに明治22年町村制が施行され、金田村、山田村、上中村となり、上大井、西大井は曽我村へと編入されています。
昭和21年になると、山田、上中は相和村になり、昭和26年には栃窪が相和村から分離しています。昭和31年の町村合併促進法で、金田、相和の2つの村と曽我村の上大井、西大井の2つの地区は合併し、現在の大井町の誕生に至っています。
大井町という町名の由来
大井町一帯は鎌倉時代から「大井の庄」と呼ばれており、昭和31年に施行された町制をきっかけに「大井町」という名称になったと言われています。
また、その他の名称についても、それぞれ由来がありますのでご紹介します。それぞれ由来には諸説のあるものも存在しますが、歴史を感じることが出来るはずです。
・金子、金手
鎌倉時代初め金子には武器を作る鍛冶屋職人が多数いたようで、そのことが地名に由来しているようです。
・市場
金子の中心部に市場があって、そこには商人が住んでいたことから由来した名称です。現在も、店、綿屋、上屋、江戸屋といった屋号が多く残されています。
・宮地
源氏の守り神である八幡社は、源氏の流れをくむ人が住んでいることから宮地の地名が残されていると考えられています。
・馬場(ばっぱ)
室町時代、大永年間、地頭の安藤源四郎が居住し、馬場があったことが地名に由来していると考えられています。
・坊村
現在のふれあい館である最明寺の薬師堂に、僧侶の居所である坊があったことが名称の由来になったと考えられています。
・河原
川音川の水害で田畑に使うことができず、松やクヌギの林だった場所だったことが地名に由来しています。
・吉原
嘉永元年、農家の二男や三男に農地を作らせるため、葭(よし)の原と呼ばれたところが開墾されたことが名称に由来していると考えられます。
・篠窪、柳、赤田、山田
篠窪は篠竹の多い窪地だったことが由来しており、柳は柳の木が多くあったこと、赤田は関東ローム層の山中に水を引いて水田を作ったこと、山田は水田・畑・山林ありといった地形が関係していることなど、それぞれの地域の植物や地域的特性などが名称に由来しています。
大井町の歴史を探索してみては?
大井町は色々な歴史を感じることができる町でもあります。どのような由来でその地域の名称がつけられたかなど確認しながら探索すると、さらに深い歴史を発見することができるかもしれません。




